2019-01-01から1年間の記事一覧

蜘蛛の糸が救うのは

お酒を飲みすぎたある晩、ふとした糸口から私は過去を思い出し、途切れない記憶の紐をずるずると引っ張り上げて夫に話した。 もう何度目の、何十回目の話なのだろう。その都度同じことを聞かされる夫の顔色を伺いながらも、もう、火蓋が落ちて止まらなかった…

喪失の今日を生きている

リン、と響いた電話に、意識が戻った。アクリル板の上から何千回となぞった写真をもう一度見下ろして、迷った末に伏せ、手放した。親指の感覚はない。乾いた涙でからからに干からびた顔の皮膚がひきつれて痛かった。 電話の相手は元教え子だった。 「先生、……

屋上友愛

「ほらあ。お似合いですねって、店員が。言ってたじゃん。さっき入ったクレープの。おいしかったよねえ。いちごとばなな。あたしクリームよりチョコ派なんだあ。あー違う。なんだっけ?そうそう。やっぱそうだよ。なんにもおかしいとこないんだもん。並んで…

無力な今日を生きている

夢とか目標とかね、意味ないのよ。あなたは言う。そんなこと考えても、考えなくても、寝て起きたら明日って来てしまうのよ、いつもの日常を少しでもここちよくすごしたいと、笑顔を絶やさないように心がけるとするでしょ、例えば娘の幼稚園に迎えに行ったと…

白紙予備軍

予定があるとその通りに行動しなくてはならない気がして、できれば真っ白な未来だけがわたしの将来にあるといいのに、と心から思っている。今任されている仕事の予定や、知人と会う週末の予定。たまには顔を見せてと半ば強制された実家へ赴く予定。次のプロ…

青鬼の差し色

吐き出した言葉が、相手に届く前に一度だけこちらを振り返って、ほんとうにこれでよかったの、と問いかけてくる。その怪訝な、怪奇な雰囲気にはっと正気を取り戻して口元を抑えようとするのだけれど、もう遅い。指先が動くより先に空気に溶けて鼓膜へ消えた…