ポテトサラダの証明

キーボードを打ち続ける作業に疲れて、こっそり背伸びをしてみる。まわりの人にばれないように、悪いことをしているわけじゃないのに、わたしだけサボっていると思われないように。視界に入る先輩たちはそれぞれディスプレイを見つめている。時折せわしなく指を動かしている。集中しているのか暇を持て余しているのかは、画面を覗き込んでみないとわからない。わかるのは、わたしが背伸びをしても、誰ひとり気にもしないということだ。
同じ空間にいる人たちでさえこうなのだから、わたしの存在といえば、今日帰り道に寄るつもりのデパ地下のお惣菜売り場も、給料日だけ訪れると決めている珈琲のおいしいカフェも、帰宅途中によくすれ違う犬をつれたご老人も、朝のバス停でいつも日傘をさしている黒髪の女性も、だれも、だれも、気にもしないくらい、ちっぽけだった。痺れた腕を小さく振って、キーボードの定位置に指を戻すと、胸の奥の方がちかちかした。わたしはもう随分と、誰の目にも映っていない気分になった。肌色が灰色になって、輪郭が空気に滲んで、よく目を凝らして見てくれる人がいなければ、このまますうっと「いないひと」になってしまう気がした。存在しているのに存在していない人間。もちろんそれは空想で、非現実的だ。わたしは会社に雇われているし、狭いアパートの一室を契約しているし、お風呂あがりにたまに電話をかける友人もいる。でも現実は、非現実的な空想を打ち破るだけの説得力をもってくれなかった。
お惣菜を買うときに笑顔をみせる店員も、わたしの後に五人も接客すれば、わたしのことを忘れるだろう。それでもいいから、今は無性に、誰かにわらいかけてほしい。